一年があっという間に過ぎていきます!ほんの一か月前には、みんな2018年がどんなに素晴らしい年になるかと話していたのに、もう2月です。時間を賢く使わなければ、時間は私たちのすぐそばを通り過ぎ、気づきもしないでしょう。私はというと、新しいことに挑戦し、 今年の目標に向かって進もうと精一杯努力しています。ありがたいことに、週末にオーランドで開かれた OneThingに参加することができました。これは私の教会が毎年参加しているキリスト教のカンファレンスです。そこで過ごした時間は素晴らしく、リフレッシュでき、いい気分転換になりました。この記事を書くことになった理由の一つでもあります。いつもと違うことをするのは健全でワクワクしますし、そうでなければ閉ざされていた扉を開いてくれることもあります。
私は、新しいことや食べ物など、人生でなじみのないものは何でも試してみたいタイプです。たとえば、旅行したり、いろいろなレストランで食べたり、今持っている服よりも自分のスタイルに合った服を買ったりするのが大好きです。でも、私を含め多くの人に起こるのは、そんなことをしている時間なんてない!ということです。スケジュールはかなり埋まってしまうか、少なくともルーティンになってしまいます。
私のルーティンは、起きて、仕事の支度をして、朝食とお弁当を作り、仕事に行き(私は教師です)、車で帰宅し、少しくつろいで、夕食を食べ、それからジム、教会、Netflix、読書、執筆、PS4/PS3のどれかをする、というものです。曜日によって違いますが、今の私の生活はだいたいこんな感じです!悪くないですし、神に感謝していますが、ふとRPGのダンジョン探索のことを考えました(唐突なのはわかっています)。人生はダンジョン探索のようになり得るのか、そしてそれが私のスケジュールとどう関係しているのでしょうか?

多くのゲームにはダンジョンがありますが、必ずしもいわゆる地下迷宮である必要はありません。洞窟、草原、火山、雪原など、思いつく限りどんな場所でもあり得ます。要は、そこにいる間はストーリーに関わることが何も起こらないので、退屈になりがちだということです。たいていは地点Aと地点Bの間にある場所です。たとえば、キャラクターがある町に行く必要があるのに、その手前に森があるとしましょう。森を歩いていくと、あたりにはモンスターや宝物がたくさんあります。戦闘やアイテムがたくさんあり、パーティーメンバー同士のちょっとした会話もあるかもしれませんが、それだけです。何も起こらず、その場所のことは忘れ、ゲームは先へ進みます。
しかし、ゲームにおけるダンジョンの最も重要な点は、そこで得られる経験値とアイテムです。確かに退屈で戦闘も多いですが、抜け出すころにはずっと強くなっています。人生も同じで、理不尽な障害や状況を通ることがあります。置かれてしまう悪い状況もあれば、自分から招いてしまう悪い状況もあります。人生の「ダンジョン」を進んでいるときは、最後にはもっと強くなって出てこられると心に留めておくのが一番です。
その渦中にいるとき、それがどう自分のためになるかなんて、まったく考えられないものです。神のみことばは、ある特定の約束、つまり神がそれを私たちの益に変えてくださるという約束に目を留めるよう教えています。
創世記 50章20節(口語訳)
あなたがたはわたしに対して悪をたくらんだが、神はそれを良きに変らせて、今日のように多くの民の命を救おうと計らわれました。
人生は簡単ではなく、とても困難なこともあります。私個人のダンジョンには、いくつか挙げるだけでも、家族、教会、友人、学校、そしていくつもの職場から来たものがあります。私は家族の中で唯一のクリスチャンです。「宗教的すぎる」と思われて、信仰のために友人を失ったこともあります。誰の助けも借りずに、自力で必死に頑張って大学の学士号を取りました。勤めていた学校が不安定だったため、3年間毎年転職しなければならなかったこともあります。あの頃を振り返ると、そうした経験がなければ今の自分はなかったとわかります。私は完璧ではなく、しょっちゅう失敗しますが、これまで通ってきたことを経験していなかった場合よりも、間違いなく良い人間になっています。
一番難しいのは、ダンジョンを進んでいるときに、最後にはもっと強くなって抜け出せるのだと自分に言い聞かせることです。私はレベルアップし、レアアイテム(思い出、学んだ教訓、新しいパーティーメンバー)を手に入れ、神が導かれるところへと旅を続けていきます。