今のは10段目?それとも11段目? 暗闇の中で階段を上り下りしながら、似たようなことを考えたことがあるかもしれません。 今のが最後の段?それとも、もう一段ある? 読み違えたり記憶違いをしたりすると、存在しない一番上の段に足を伸ばしてしまったり(何もない空間を踏み抜く、あの一瞬のゾッとする感覚と共に)、自信満々に床を踏んで足を痛めたりします。

Games Done Quick (GDQ)を見ると、ゲームについて、そしてスピードランのコミュニティ全体について、いつも何かを教えられます。私はふだん、 Legend of Zelda のスピードランやレトロゲーム、 Tony Hawk Pro Skater のランをよく見るのですが、2021年のSummer GDQでは、スピードランナーのBubziaが目隠しをしたまま Super Mario 64 (SM64)でスター70枚を集めるのを見て、まったく新しい意味で度肝を抜かれました。そう、目隠しです!ゲーム内の音楽や環境音の手がかりだけを頼りに、Bubziaは見事にスター70枚を集めきりました。タイムは1時間50分をわずかに切るものでした。(動画は こちら)目が見えていても難しいフレーム単位の精密な操作をやってのけ、視聴者には画面に何も見えない場面でもステージを進んでいく姿に、私は開いた口がふさがりませんでした。
これは私の心に響くと同時に、私を謙虚にさせました。私が思い出したのは、ガラテヤ人への手紙5章25節 「もしわたしたちが御霊によって生きるのなら、また御霊によって進もうではないか。」 と、ヨハネによる福音書10章27-28節 「わたしの羊はわたしの声に聞き従う。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしについて来る。わたしは、彼らに永遠の命を与える。だから、彼らはいつまでも滅びることがなく、また、彼らをわたしの手から奪い去る者はない。」 (口語訳)です。私たちは皆、霊的な盲目を経験したり、キリストから目をそらしたりしたことがあります。けれども、御霊と歩調を合わせ、御霊の合図に耳を傾けるうちに、私たちは聞き従うことを学んでいくのです。救い主の声と御霊の歩みだけを頼りに、人生の未知の道を心地よく――いや、心地よくというより、進んで、でしょうか――歩むことを学んでいくのです。
ゲームはたいてい、意図的なパターンやボタンの組み合わせ、手がかりが用意されていて、私たちはそれを見つけながら目標から目標へと進んでいきます。クリスチャンとして生きることも、それとよく似ています。神がすべてを導いておられ、進むための道しるべ、つまり聖書を与えてくださっていることを私たちは知っています。Bubziaがスター70枚(今では120枚すべて)を集められるようになるまで注いだのと同じ献身を、私たちは信仰の歩みに注ぐことができます。そのためには、意図的な練習と学び、合図を読み取ること、そして神の声に従うことが必要です。

どこかで聞いた格言のように感じますが、良い羊飼いの声を聞くことを学ばなければ、その声を聞き分けることはできない、と何人もの牧師が語っていたのを覚えています。その声を学ぶには、神のみことばを学び、その教えを実践し、それらすべてに基づいて行動することです。完璧であることは約束されていませんが、私たちには完璧なリーダーがいます。そしてBubziaが成長してきたように(彼が行う技の中には成功率10%のものもあります)、私たちも神の声に耳を傾けることに日々取り組みながら成長し続けるのです。
これほどの名作であり革新的な作品である Super Mario 64 を、目隠しをしたままこれほどの献身で攻略する人を見て、私は圧倒されました。SM64をまったく新しい目で見ることになったのです。同じように、長年信仰を持ってきた私たちも、神の善良さと、私たちへの尽きることのない愛に、今も驚かされ続けています。神との関係が深まるにつれて、私たちは絶えず新たにされます。たとえ霊的な目隠しをしたまま人生を歩み始めたとしても、私たちは見えるものによらないで、信仰によって歩むのです。