初出はGeekdom House(現在はサービス終了)
誰もがいちばん好きなゲームキャラクターといえば、やっぱり主人公ですよね?ジャンルに関係なく、自分が操作するキャラクターを好きにならなければ、私の考えでは、その体験を楽しむことはできません。
人気のゲームシリーズを思い浮かべたとき、最初に頭に浮かぶキャラクターは誰でしょうか?リンク?ソニック?マリオ?ララ・クロフト?ネイサン・ドレイク?マスターチーフ?みんなまったく違うキャラクターですが、世界(あるいは宇宙)を完全な滅亡から救うために駆けつけるヒーローになったような気分にさせてくれます。
そもそも私がゲーマーになった大きな理由の一つが、このヒーローになった感覚です。私のamiiboコレクションはすべてお気に入りのヒーローたちで、なぜか悪役のフィギュアにはあまり興味がありません。自分なりのやり方で現実の人生でもヒーローになれるという感覚は、私のクリスチャンとしての信仰にも表れています。私のうちにあるキリストの愛を通して人を助け、困っている人や傷ついている人に差し伸べる手になれるのです。
とはいえ、いつもそんなにヒーローらしい気分でいられるわけではありません。思い出すのはアンチヒーローたち、つまりワリオやシャドウ・ザ・ヘッジホッグ、マックス・ペインのような、内側では悪役のように感じながらも外側ではヒーローであろうとしているキャラクターです。彼らはうまく取り繕い、何もかもうまくいっているふりをしていますが、ひとりになるとそうはいきません。やりたくないときに正しいことをしようと葛藤するのは簡単ではありません。誰にも知られないときは、なおさらです。

暴力的な行為をする人を、私たちはすぐに「おかしい」とか「イカれている」とレッテルを貼りがちですが、その人の頭の中で本当に起きていることは、もっと複雑なのかもしれません。
物語の中には、ときどき、根っから邪悪でもねじ曲がってもいない敵役が登場します。ただ、そのやり方がヒーローとは正反対なのです。彼らは人を助けたいと思っていますが、その方法が最善ではなかったり、あるいは心に傷を負っていて、自分の人生を立て直そうとしていたりします。
たとえば、ゲーム InFamousでは、電気の力を手に入れた若者コール・マグラスとなってプレイし、犯罪を止め、最終的には ビーストを止める使命を負います。ビーストはニューマレーの街を破壊しようとする、もう一人のコンジット(能力者)です。ゲームを進める中で善い行いも悪い行いもでき、その選択によって異なるエンディングを迎えます。あなたの行動によって、能力や他のキャラクターとの関わりなど、物語の一部が変わります。コールで悪事ばかり重ねていくと、彼は多くの人が共感できる言葉を口にします。
「俺はこの変化から世界を救うために力を与えられた。だが今、俺はその中心に立っている。俺がビーストになったんだ」―コール・マグラス、 InFamous 2

犯罪者を自らの過ちの被害者として描こうとしているわけでは決してありませんが、彼らの多くは、刑務所に入れられることや警察から逃げ回ることが自分の人生の目的だとは思っていないはずです。多くの場合、少しずつ忍び込むのを許してしまった考えや感情が、必要だから盗んでもいい、怒っているから仕返ししてもいい、と私たちに思い込ませてしまうのです。
楽な道はありません。
まさにその理由から、私は神のあわれみと恵みが必要だと感じています。人生を歩む中で、アンチヒーローになって善を行うのをあきらめてしまいたいという誘惑はいつもあります。親切にしたり人を助けたりするのがつらいときもあります。特に、その相手に裏切られたり無視されたりしたときはそうです。たとえそう感じても、私は前に進み続け、ほかの明かりがすべて消えてしまった暗い場所で光となるために、神の力が必要なのです。
ヒーローであることは、簡単なはずがありません。疲れてしまうのには理由があります(ガラテヤ人への手紙6章9節「わたしたちは、善を行うことに、うみ疲れてはならない。たゆまないでいると、時が来れば刈り取るようになる」口語訳)。
リンクがガノンドロフからゼルダを救い出すのにも、ソニックがドクター・エッグマン(お好みならロボトニック)から仲間を救うのにも、たいへんな苦労がありました。最後の報いをついに刈り取るまでには、数えきれない戦い、死にかけるような経験、裏切り、そして喪失があるでしょう。それでも、その価値はあります。ヒーローとアンチヒーロー、どちらの道を歩むと決めても、それぞれに結果と試練があります。
楽な道はありません。
私は、今いる場所でヒーローであろうとしたいと思っています。近所の人や職場の同僚を手伝うこと、友人に電話をかけ直して、つらい時期の話を聞くこと、あるいは助けを必要としている人のために時間を取って祈ること。どんな小さな行いも見過ごされることはなく、私たちは自分の蒔いたものを刈り取ります。私は死ではなく命を選び、神が私を召してくださった人になることを目指します。私は、自分の内なるアンチヒーローに耳を貸さないことを選びます。